月夜が抜け出した頃、夕香たちは昌也の家でそわそわとしていた。
「ん?」
 そわそわしているが静寂が支配している中で嵐が眉を寄せ、左耳を押さえ外に出た。何
かが聞こえたらしい。
「夕香」
 しばらくして嵐が手だけ出して来い来いとひらひらさせた。それに応じると夕香の耳に
ささやいて片目を瞑った。
「姉貴から、連絡が来た。月夜、無事に捕ったって」
 ひそかに一番剣呑な雰囲気を発していた昌也は詰めていた息をゆっくり吐き出して、そ
の気に怯えていた莉那も息を吐いた。夕香は少し顔を赤くしてそっぽを向いている。
「落ち合う場所があるから、俺と狐とで行ってくる。たぬは、兄貴の手伝いしてな」
 莉那はこくんとうなずいてバイバイとてをパタパタ振った。なぜか、幼い動作が似合う。
 そんな莉那に見送られながら嵐と夕香は落ち合う場所に向かった。
  そこは、嵐の生家なのだが、今は、姉である凛と、妹の麗が住んでいる。嵐は、術師の
資格を得るために現世にいて、姉である凛は、月夜の兄である昌也を好いてここに残って
たまに押しかけているらしい。麗は麗で最近いい人をみつけたみたいで家を出たり入った
りして、実質家の中にいるのは世話役の爺ぐらいしかいない。
「だだっ広いただの家だ。部屋は多いし端から端までだとよほど大きな声で叫ばなきゃ、
音は漏れないようになっているし」
「で、そこで、たぬとやったの? 初めて」
「んなわきゃないだろ、何でその思考になる?」
「あんただからよ」
「どういう意味だ」
「どういう意味も、あんたはそういう思考の持ち主、万年発情期らしいから、言ったのよ」
 辛辣というかいつもより鋭い言葉に嵐はやっぱり狸も連れてきたほうがよかったかもと
いまさら後悔していた。
「んなわけないだろ。だれだよ、そんなこと言ってたの」
「あたしが思っただけ。たぬもあんたについていけなくなるんじゃない」
「どういう意味だよ」
「そのペース。毎日やってるんでしょ?」
「何で知ってんだよ」
 はっきり言ってしまった。しまったと思ったときには遅かった。夕香はにまにまと意地
の悪い笑みを浮かべて背筋をすっとなでた。
「どうだった? たぬ。いつもと違かったの?」
 少し、耳に残るような口調で夕香はゆっくりといった。二人きりになったときにいじめ
るのが楽しい。こいつは考えるより先に顔と言葉に出るのだ。簡単なストレス発散だが、
いじめられている嵐としてはかなり迷惑だ。しかも、何故よりによって今、そんな話なの
だろうか。
「馬鹿やろう」
「ねえ」
 その声が艶を帯びているように感じる。なでられた背中からぞくりと何かが駆け上がる。
何をたくらんでいるのだろうか、このお狐様は。
「なにしたいんだよ、お前」
「別に。憂さ晴らし」
「何だよ、それ」
 そんなためにこんな恥ずかしいこと明かされたのだろうか。だったら月夜とどこまで行
ったのか聞いてやろうじゃんかと思って少し遠回りした。
「月夜と、どこまで行ったんだよ」
「別に、キスどまりだけど」
 はっきり言われて嵐は顔を真っ赤にした。さっきしたばかりだ。自分たちは。
「やっぱ素直なやつね。お前は」
「うるせーな」
 いじけてそっぽを向くのも見ていて面白い。走ってなければいじいじとしゃがみこんで
人差し指で地面を掻いてにらめっこしていただろう。その姿を想像して夕香はくすりと笑
った。
「ああ、でも、一緒に寝たけど? そういう意味じゃないけど」
「どういう意味だ?」
「あんたたちが毎日シているようなことじゃないけど」
 『シ』がことさらに強調されていたのは気のせいではないのだろう。嵐は狸を連れてく
るべきだったと本気で後悔した。この分だと苛め抜かれる。
「なに落ち込んでるのよ。あそこじゃないの?」
「ああ」
 内心ほっとして家の門をくぐったがその中にいじめる人がいると思いもしなかった。
「やっときたか」
 そう声をかけたのは腕を組んで玄関に寄りかかっている茶髪の女性だった。月夜の姿は
ない。その姿を見て嵐はがっくりと肩を落とした。今一番会いたくない女の一人だった。
「あなたは?」
 夕香が首をかしげると少し嵐に似た面立ちをあげて口端をくいとあげて笑った。嵐に似
ているというよりは嵐が似ているのだろう。釣り目がちで砂色の髪は長く伸ばされ一つに
くくられている。全体的に女傑のような雰囲気が漂っているのは気のせいだろうか。
「はじめまして、天狐の姫。あたしはそれの姉、凛だ」
「それかよ」
「それで上等。何なら馬鹿でよかったんだけど?」
「あっそ」
 言い返すのがいやになったのか、嵐はげんなりとしつつあたりを見回した。月夜のにお
いはしているが、どこにいるのだろう。
「都軌は部屋だよ。寝ている」
「どうして」
「貧血と、体力が持たなくなったんだろ。後は、莫大な神気の放出による精神的疲労と肉
体的疲労。人には結構疲れるものだと思うが」
「莫大な神気って」
「しいて言うならば狐の神気に似ているらしい。まあ、聞いた話だがな。今は休んでいる。
玄関入って目の前の階段を上がって右手に進み、奥から二つ目の和室に寝ている」
 その言葉に夕香はこくりとうなずき中に入っていった。
「さて、お膳立て、どうなる?」
 夕香が完全にいなくなったのを確認して凛が嵐に向かっていった。
「勝手に考えていたら? 馬鹿にそんなこと言うなって」
 肩をすくめる嵐にふっと笑って凛は瞬き一つの間で屋敷に結界を張った。



←BACK                                   NEXT⇒